路地裏のランナー

静岡国際の800mは、男女とも驚くべき結果でした。
どちらも高校生が好記録で優勝。
勢いの素晴らしさを感じたレースでした。

さて、シーズン前に怪我をしていた塩見さんですが、復調の兆し見え始めています。
このレース、序盤から動きは良く、550mくらいまでは上々の走りでした。
しかしここから位置取りが失敗し、前を走る海外の選手のペースが落ちると身体が壁になってしまいます。
結果的にスパートも仕掛けどころを見失ったまま、しかも精彩を欠いてしまいます。
少しモヤモヤが残るレースだったことでしょう。
とは言え550mまでの走りは軽く、良く動けていました。
結果的にタイムも2分5秒10ですから、大丈夫でしょう。
切り替えて、次の木南記念に向けてしっかり調整していくことでしょう。
静岡国際女子800

ちなみに、私が選手のレース運びや展開について言及するのは、大なり小なり関わりがあった選手のみです。
塩見さんとは、レースのあった日の夜、SNSのメッセージでレースについて少しお話をしたのです。

以下の画像は優勝した久保さん。
これから800mという距離と、どう向き合っていくのか、楽しみな逸材です。
久保凛さん

田中佑美さん
織田記念を2連覇した100mHの田中佑美さん。
去年のセイコーグランプリを見た時から感じていたことでが、スタート前のメンタルの整え方が超がつくほど一流です。

私は、メンタルは強弱ではなく、整えるものだと考えます。
何のために整えるのか?
集中と冷静さを維持するためです。
敢えてメンタルの「強さ」を表現するなら、
「どれほど集中し、どこまで冷静でいられるか」となります。
メンタルトレーニングでは、そのためのスキルを身に着ける練習をするのです。

さて、スタート前の田中さんですが、呼吸法はもちろん、明らかに丹田も意識しています。
スタートラインに着く前と、On your mark後のスタート直前でも少し笑うことまで取り入れています。
恐らく、自分に暗示をかけるようなこともしているでしょう。
誰かに教わったのか、それとも自分で身につけのか…
いずれにせよ、これほどのスキルがあるのなら、怪我することなく練習を積めていれば、大きく崩れることはないだろうと思います。
恐らく、今の日本陸上短距離界で、最もメンタルスキルの高い選手かも知れません。
田中さんが昨年急成長した理由のひとつに、メンタルスキルを身に着けたことがあるのは間違いないでしょう。

昨年のセイコー、スタート前の様子は以下の動画によく表れています。
メンタルトレーニングを問い入れようと考えている選手、コーチにはとても参考になると思います。

かつて、中距離を得意としていた高校生の多くは、卒業すると引退するか大学で長距離を走るということがほとんどでした。
私と同世代の選手を見渡しても、800mでインターハイまで出ているのに、大学には駅伝の推薦で入学し、そのまま長距離を走るという人が少なからずいました。
駅伝強豪校の場合は特にその傾向が強かったように思います。
もちろん、小野友誠のような例外もいました。
しかし例外は、400mもトップレベルにあるような数少ないスプリンターに限られていました。
女子の場合は、実業団の駅伝でも短い区間があるため、高校、大学を出ても駅伝に駆り出される選手が今も多くいます。
駅伝が悪いとまでは思いませんが、中距離の素質に溢れる選手を完全なスプリンターではなくしてしまっている、そう思えてならないのです。

一方、この状況を変えてきた選手がいます。
大森郁香さんもその一人です。
その記録として、以前書いていたブログの記事をそのまま転載します。
2015年に書いたものです。
大森郁香さんが日本大学を卒業しロッテに入社しました。
2014年、大森さんは関東インカレ、日本選手権、日本インカレを制します。
関東の学生にとってこの3つの大会すべてを制することは誰よりも強く、速いことを証明してみせたに等しいことです。
日大の女子選手がこの3冠を達成する姿を見せてくれる日が来るとは思っていませんでした。
日大中距離ブロックを応援している自分にとっては嬉しい驚きの連続でした。

大森さんはこの3冠を達成する前に競技を辞めることをロッテに伝え、一般社員として内定をもらっています。
前年までのベストは2分9秒台。
学生最後の年、良い成績を残すことを考えていただろうけれど、早々に3月末の時点で自己新記録を出してきます。
3月29日、順大の記録会で2分8秒26をマーク。
翌月4月29日の織田記念、大森さんは800mのB決勝に出ていました。 AではなくB、前年までの実績ならそれも当然でしょう。
しかしここでも2分8秒台を出してしまいます。

その翌月の関東インカレでは日本歴代10位となる2分3秒台で優勝。
一気にトップ選手に躍り出ます。

好記録が出たこと、またこの後、日本選手権でも優勝することで、競技を続けるか悩みはじめた大森さんに実業団からも誘いがかかったそうです。
ただしその条件は「駅伝を走ること」。

最終的に大森さんはロッテに就職。
企業の理解を得てこれまで同様練習拠点は日大のまま競技を続行することになります。
その選択はおそらく間違っていないでしょう。

日本の陸上界は長いこと中距離と長距離とが一緒に考えられていました。
中・長距離という呼ばれ方はあっても、短・中距離という呼び方はありませんし、短距離と中距離を解説する書籍を見たことがありません。
陸上競技の解説本のタイトルは「中長距離」となっているものが殆どだろうと思います。
実際、高校の陸上界においても強豪校は駅伝を中心に据えているので、800mや1500mが得意な選手は3000mなど短い区間を走ることになります。
先ず駅伝ありきなので駅伝のための練習を全員で行います。
高校生とはいえ相当走りこみます。
学校によっては月間1000km近く走ることもあるでしょう。
そうした練習の中でスピードのある者、5000mや10000mが得意な者とで走る区間を決めます。
中距離のための練習は基本的にはありませんし、短距離練習を行うことはまずないと思います。

勿論これまでにも例外はありました。
400mと800mの選手で規格外の場合。
400mがトップレベルにあればスプリント力を潰さずに800に活かしたいので、助っ人として駅伝の短い区間を走ることはあっても長距離の練習を行うことはほとんどありません。

でも1分55~2分くらいの選手が800mに特化した練習を専門的な環境下で行うことは困難です。
強豪校であればそのスピードを駅伝に活かせとなる。
そもそもその為に800mや3000mの速い中学生を獲得するのですから…。
強豪校でなければ自分自身でメニューを作成し練習することになるのですが、これは結構大変。
で、各県大会の上位を見るとこのタイム層の選手が最も多いのが現状。
そして無名校の選手も結構います。
ほとんど素質だけで走っている…そう思える選手も少なくありません。
逆に強豪校の選手を見て「この選手がスプリント練習をメインに行えていたら…」と感じたこともあります。
もっと伸びていたかもしれない逸材はたくさんいたかも知れない。
もしかしたらそれこそが日本の中距離界が停滞していた原因なのかも知れません。

高校時代の大森さんは、間違いなく「ほとんど素質だけで走っていた」タイプです。
過酷な長距離練習を行っていなかった分、大学3年生頃からの本格的な中距離練習で伸びたとも思えます。
その大森さんの今シーズンの目標は2分1秒、世界陸上の参加標準記録。
この記録で走ろうと思えば、男女を問わず400mを53秒くらいで走れるスプリント力が必要になってきます。
女子で400m53秒を目指す場合、駅伝を目指した長距離練習は足枷になってしまう可能性が高い。
駅伝が邪魔だとは思いません。
けれどもマラソンも高速化しているし、中距離に関して言えばそれこそ高速化が不足しています。
駅伝は人気種目で商業的価値も高いから力を入れるのはわかるけれど、中距離の選択肢をそろそろ確立させないといけないのではないか…そんな気がしています。
そしてシニア期に入って急速に伸びた大森さんのスプリントは、これからまだ幾度か大きく飛躍するきっかけが訪れるように思います。

大森さんはロッテを退社後、奥アンツーカに所属し走り続けました。
引退レースの様子を見ると、大森さんがいかに慕われていたかが良くわかります。
大森さんが長く走り続けたことで、広田さん、山田さん、北村さん、池崎さんなど、多くの選手が社会人になった今も走り続けているように感じるのです。
男子では大森さんと日大で同期の川元君が今も現役で頑張っています。
川元君の影響で走り続けている社会人も増えてきたように思います。
こうした社会人の競技人口の増加は、800m全体のレベルを押し上げていくことに繋がると確信しています。
そして、今の日本の中距離界は、松井一樹という一人のコーチの存在があればこそだと思う今日この頃です。
奥アンツーカに所属していた頃の大森さん

この走り方をする人は伸びる…そう思える走り方があります。
速くなった未来の姿を想像できてしまうのです。
勿論、私の主観です。
しかし、陸上競技のコーチであれば、誰しもそのような視点を持っていることでしょう。
私にもいくつか着目する点はあります。
中でも特に注目するのは
①膝の使い方
②ミッドフットの接地
の2点です。
私が目指す走り方は、距離や速度に関係なく、「軽く速く」、そして「楽に走る」ことです。
スピードを上げようとすればするほど「軽く速く」…そう意識した走り方を私は高校の頃から教わり、自分なりに考え続けてきました。
そうすると、上記2点が特に重視するポイントになるのです。
さて、今回は②ミッドフットの接地について書いてみたいと思います。

西澤果穂さん(現:木田さん)の走りを眼前でしっかり見たのは、西澤さんが高校3年生の時の東京国体でした。
軽快なミッドフットの接地に魅せられたのをよく覚えています。
西澤さんの接地は、誰かに教わったものではなく、天性のものだと思えました。
あれから11年、時はあっという間です。

ミッドフットで走るランナーは、例外なく速いピッチで走ります。
苦しくなっても、回転を維持することを心掛けていれば大きく落ちることもありません。
姿勢とピッチさえ維持していれば、ラストの直線でスパートに移行することも可能です。
ですから、練習中の声掛けではペースが落ちたとしても
「ピッチを維持すること」
「姿勢を崩さないこと」
そのための方法を伝えることが中心になってきます。

普段のトレーニングについては…
姿勢を維持するために、「上体の体幹強化」と「接地の効率アップ」を中心とするトレーニングを工夫し継続すること。
その上で普段の練習を積めば、間違いなく強くなれると確信出来ます。
とはいえ、簡単ではありません。
インターバル練習の注意点」でも書きましたが、何気ないジョグの姿勢1つにも集中する必要があって、このような注意点が他にもたくさんあります。
それに私が思い描いている「普段の練習」はかなりハードなものです…。

簡単に書くつもりがかえって分かりにくくなってしまったようで恐縮ですが、「走り方は生き方に通じる」と私は確信しています。
私は西澤さんの走り方に魅せられた一人です。
どのような環境でも、どのような距離を走るにしても、これからも素敵なミッドフットで走り続けてくれることでしょう。
今日、4月27日は西澤さんの誕生日です。
おめでとう、素敵な人生を。

※西澤さんの走り方については「西澤果穂さんの着地点」にも書いたことがありますのでぜひご覧ください。


西澤果穂さん

北村夢さんの投稿(4月13日)をしばらく考えていました。
ここ数年、力強い走りが出来ない理由として、
PMS(月経前症候群)がかなり重く、元気でいられるのが1ヶ月のうちの1〜2週間程度
であることを挙げているのです。
また
もし婦人科疾患に詳しい方、知り合いにいらっしゃる方がいたらお力を貸していただけないでしょうか
とも呼びかけているので、症状を改善するために必要なことはもう分かっておられていて、最善策を選択する段階にあるようです。

私は以前、月経について「月経との関わり方」に書きました。
低用量ピルを使用することを対策の選択肢として挙げ、日本陸連公式サイトに掲載されている、市川華菜さんの記事「女子アスリートに知っておいてほしいこと 第2回」(リンク最終確認:2024年4月27日)を紹介しました。
もし、月経で悩んでいる女子アスリートが、今この投稿を読んでおられるとしたら、市川さんの記事を参考にしていただければと思います。
参考に、というのは、記事の内容を真に受けてしまうのではなく、選択肢として低用量ピルがあること、そして婦人科の医師に相談することです。
未成年の方は、顧問の先生や家族など、打ち明けやすい人に先ず相談してください。

私は北村夢さんとの接点はありません。
中距離合宿が読谷村で行われていたとき、大森郁香と松井コーチに会いに行った際に少し紹介していただいた程度です。
ただの一ファンの願望にしかすぎませんが、日本の陸上中距離界では北村さんだけが出来る、力強い高回転のスプリントを、また見せて欲しい…そう願っています。


北村夢さん

かつて100mと200mで活躍した新井初佳さんのスロー動画です。
新井さんの実績については様々なサイトに記述されていますのでお調べいただけたらと思います。



新井さんの身長は157㎝。
トップ選手の中では小柄なスプリンターです。
小柄な選手が短距離を速く走るには、他の人よりもストライドを伸ばす必要がありますし、ピッチを上げることも必要になってきます。
より効率の良いフォームで走ることが求められるのです。
筋力アップは勿論必要ではありますが、その筋力トレーニングも「速く動かす」ことを重視したものとなります。

パワーよりもフォームを追求するタイプのスプリンターの多くは、柔らかい走りをすると思います。
ですから200mを得意とする選手が多いし、効率の良い動きはロングスプリントにも対応できるので、マイルリレーを走る人もいます。
新井さんがマイルを走っている姿は見た記憶はありませんが、周知のとおり200mの元日本記録保持者でした。
100mも日本記録を持っていましたが、100mよりも200mを得意としていた印象があります。

私は長年、新井さんのような柔らかいスプリントのフォームは、800mの選手にも通じるものがあると考えてきました。
スタミナを武器とする選手でも、たった2周の短い800mではやはりスプリントは必要になってきます。
しかし短いと同時に長くもあるのが800mという種目です。
800mという距離の大部分を、その選手にとって最も効率的なスプリントフォームで走らなければなりません。
極めようとすればするほど(例えば日本記録を狙うのであれば)そうなってくるはずで、ラストの切り替え、或いはスタートダッシュを仕掛ける際には、200mを本職とする選手と同等の柔らかいスプリント力が求められるでしょう。

これは日本の女子中距離選手に足りていない部分であるとも思います。
本格的な体幹トレーニングを導入することで、効率的なフォームを維持したまま走れる選手が増えてきました。
しかしその先にある「柔らかいスプリントの強化」にはまだ到達していない。
女子選手が1分台を狙うのであれば、避けては通れない道だと思います。
そうした意味でも、新井初佳さんのフォームは、現代の中距離選手にも参考になることでしょう。



ランニングフォームについて書いているくせに自分自身はどうなのか?
と思うこともあれば、言われることもあるので振り返ってみます。
何年か前、46歳になる頃に撮影した動画です。
車イスの速さに合わせて、流しをしている場面です。
一緒に走っている車イス選手は一緒に走っている車イス選手は、左から安川祐里香、喜納翼、仲泊厚志、そしてパラメダリストでもある上与那原寛和さんです。

100m15秒程度の速さですが、20歳の現役のころと比べると、動きが随分ぎこちなくなっています。
特に引退の原因となった右脚の動きは小さくなっているのが自分でもわかります。
現役の頃は明らかに右脚のほうが左よりも大きく動いていました。
それでも、昔から、爪先を前に出すこと、接地は重心の少し前にすること、を今も心掛けています。
40歳前後、ランニングを再開した頃から速く走ろうと思ったことは一度もありません。
中距離選手だった私ですが、昔は冬期の走り込み練習として参加したマラソンで、キロ4、2時間48分で走れたものです。
当時はキロ4ならどこまでも走れるようなジョグ感覚でした。
今は苦しくないペースでジョグするとキロ5分台です。
どうあがいても昔の自分を追い越せそうにはありません。
でも、何歳になっても、走るなら上手く走りたいと思うのです。

ちなみに、この動画からの画像をブログのプロフィールにも使用しています。
車イス選手と走る私