路地裏のランナー

ランニングフォームについて書いているくせに自分自身はどうなのか?
と思うこともあれば、言われることもあるので振り返ってみます。
何年か前、46歳になる頃に撮影した動画です。
車イスの速さに合わせて、流しをしている場面です。
一緒に走っている車イス選手は一緒に走っている車イス選手は、左から安川祐里香、喜納翼、仲泊厚志、そしてパラメダリストでもある上与那原寛和さんです。

100m15秒程度の速さですが、20歳の現役のころと比べると、動きが随分ぎこちなくなっています。
特に引退の原因となった右脚の動きは小さくなっているのが自分でもわかります。
現役の頃は明らかに右脚のほうが左よりも大きく動いていました。
それでも、昔から、爪先を前に出すこと、接地は重心の少し前にすること、を今も心掛けています。
40歳前後、ランニングを再開した頃から速く走ろうと思ったことは一度もありません。
中距離選手だった私ですが、昔は冬期の走り込み練習として参加したマラソンで、キロ4、2時間48分で走れたものです。
当時はキロ4ならどこまでも走れるようなジョグ感覚でした。
今は苦しくないペースでジョグするとキロ5分台です。
どうあがいても昔の自分を追い越せそうにはありません。
でも、何歳になっても、走るなら上手く走りたいと思うのです。

ちなみに、この動画からの画像をブログのプロフィールにも使用しています。
車イス選手と走る私

ペア11㎞を走ってきました。
去年はペアではなく二人とも個人で参加して1時間21分くらいで走ったのです。
そのタイムだと去年はペア部門では1位よりも速かったので、今年はよいところまでいけるのでは?
と密かに期待もしつつ走ったのですが…
そう甘くはありませんでした。
私たちのタイムは昨年を上回る1時間17分57秒でしたが2位でした。

県外のロングトレイルの経験もあるのですが、国頭のコースは難易度が高いと思います。
今日は序盤を比較的速めに走ったのですが、酸素が肺に入っていかない感覚に陥りました。
そのまま走り続けていたら右脚だけ酸素が届いていないのか、ハムストリングが攣りそうになりながら最後まで走っていました。
短いトレイルでもトレイルはトレイル。
何が起きるか分からないことを痛感しました。

さて、今日、ペアで走ってくれたのは元岩手県のエースランナーでした。
私の右脚の状態が良くなかった分、前を引っ張ってくれていました。
都大路や全国女子駅伝で1区を走っているだけあって、安定感抜群。
さすがの走りでした。
ゴールした時は11㎞の女子1位より早くゴールしたらしく、「女子1位!」と声をかけられインタビューされそうになっていました。
「ペアです!」とアピールしていたのが少し可笑しかった。
足は痛みましたが、終始楽しい大会でした。
自衛隊カレーも美味でした。
今日のトレイルランの様子

高校生の時、全国高校駅伝の常連校の合宿に参加しました。
8月、1週間、場所は伊豆大島。
宿泊したのはおくやま荘。
釣り人と陸上関係者には有名な民宿です。
小出監督時代のリクルートも使っていました。
有森さんのサインが民宿にあったのを覚えています。
おくやま荘

さて練習メニューですが、記憶が元なので日程が違っているかもしれません。
当時はGPSなどはありませんから、距離も伴走の原付で測ったりしていましたので、正確ではありません。
そのあたりはご容赦ください。

初日、船で伊豆大島に着いてから民宿までジョグです。
波浮港から民宿まで海沿いの19㎞。
海沿いと言っても坂道だらけです。
沖縄の人でとかしきマラソンを走ったことがある人は、渡嘉敷島を思い浮かべていただけるとぴったりです。
今年はじめて渡嘉敷を走りましたが、だらだら続く上り坂で、伊豆大島の坂道を思い出しました。
民宿に着くのは夕方で、荷物を整理してから8㎞ペーランします。
この8㎞は1年生のための朝練のコース確認です。
この後、3000mを1本走ったかどうか記憶が定かではありません。
初日は27~30㎞くらいで終了です。
ちなみに、女子も同じメニューです。

朝練は4㎞離れた公園に、確か6時半ごろに集合。各自走っていきます。
公園で体操と補強をして走って帰ります。なので8㎞です。
日中の練習では、毎日ポイント練習がある感じです。
中でも3種類のメニューが、本当にきつかったのを覚えています。

2日目の午前中はジョグ20㎞と5㎞のTT。
午後も20㎞のジョグと3000のTTを2本走っていたかと思います。

3日目だったと思います。
5、3の繰り返しがあります。
本当にきついメニューの1つ目です。
5、3というのは、朝練、朝食後、9時に民宿の前から2.5km折り返しで5㎞のタイムトライアル。
次は10時スタートで1.5㎞折り返しの3㎞。
これを繰り返します。
9時に5㎞、10時に3㎞、11時に5㎞、12時に3㎞、1時に5㎞、2時に3㎞、3時に5㎞
合計29㎞です。
因みに女子は全部3㎞なので21㎞です。
そして、これが終わってから夕方に10㎞くらいジョグします。
一日の合計は50㎞超えていないのですが、ずっと5000と3000を本気で走るので疲労感がすごかったです。
最後の5000を14分台で帰ってくるお化けもいました。

4日目、朝練と午前中の練習は2日目と同じような感じです。
午後、全長400mくらいの急勾配の芝生でクロスカントリー。
たしか20本くらいだったと記憶しています。
下りはジョグなので合計16㎞程度でしょうか。
そしてこのクロカン場所まで往復15㎞くらい走っていると思います。
恐らく、この日の合計距離は60㎞くらいです。

5日目…もしかしたら4日目と逆かもしれません。
いずれにしても、この日のメニューは伊豆大島一周50㎞走です。
キツイメニューの2つ目です。
朝練後、実力順に一人ずつ時間差でスタートします。
アップダウンの激しいコースを50㎞、高校生が走るのですから今にして思えば驚きです。
速い子だと3時間台で普通に戻ってきます。
私は5時間くらいかかったのを覚えています。
400~1500、それに混成を主戦場にしていた私には本当にきつかったです。
女子も走っていました。

6日目、この日のメインメニューは1000mの急な上り坂を10本です。
これがきついメニューの3つ目です。
この坂も沖縄のランナーには想像しやすいと思います。
尚巴志ハーフの新里坂、長さも斜度も、あれにそっくりです。
下りはジョグ、数本おきに給水があります。
全部で20㎞。
そして坂のある場所までのジョグがどう考えても往復10㎞以上あります。
というのも、30分以上かかってたどり着いた記憶があるからです。
そして午後はロングジョグ20㎞と5000のTTでした。

最終日は朝練やって、5000のTTやって終了。
さすがに帰りは港まで車移動です。

かなりあやふやな記憶なので日程の配置やジョグの距離は間違っているかもしれません。
でもメインメニューははっきりと覚えています。
2日目から6日目までは毎日合計60㎞前後走っていた感じです。
そして毎日夕方、練習後は海で遊んでいました。
元気でしたね。
高校を卒業した最初の年にもう一度参加させていただいたのですが、その時には最近ニューイヤー駅伝を連覇しているチーム(某自動車メーカー)の監督さんが高校1年生でした。
もう30年以上前のお話です。

高校生の時に伊豆大島1周50㎞を、それもきつい合宿の日程中に経験したことは本当に大きかったです。
大学での練習で走り込み時期にフルマラソンをメニューに入れることにも全く抵抗がありませんでした。
42㎞という距離に恐怖感とか不安が全くなかったのです。
引退して20年後、ウルトラマラソンを走ってみようと思えたのも、この合宿を経験していたからだと思います。
若いころの経験は、何十年後かの意識や考えにおいても財産になるものだと、この歳になって実感しています。

憧れた走り方、目指した走り方、というものがありました。
爪先を前に出す走り方です。
距離に関係なく、私はこの走り方を目指していました。
最近の選手でいえば、女子中距離では大森郁香さんや岩川侑樹さん。
男子長距離だと東農大の前田君。
そして、私が現役の頃だと、男子は短距離の奥山義行さん。
女子では断トツで田村有紀さんでした。

腰高でリズミカル、膝が上がり切ってからすっと爪先が前に伸びるようなフォーム。
効率を中心に考えれば、もっと良い走り方があることでしょう。
それでも、私はこの走り方の美しさに憧れていました。
中距離ランナーだった私は、奥山さんのようなスプリントを目指していましたし、長い距離を走る練習では田村さんのような足運びを意識していました。

田村さんのランニングフォームのスロー動画です。

ラスト500mの地点で疲労もあり、上体が少しぶれていますが、それでも腰の高さと足運びは全く変わりません。


こちらは襷リレーの後、まだ余裕のある時の走りです。
最近の選手と見比べても、私にとっては田村さんのフォームが最高の走り方です。
私は既にジョグしかできないような年齢になりつつありますが、ゆっくり走るだけであったとしても、常にこの走り方を目指したいと思うのです。

昨年、「LGBT理解増進法案」が話題となりました。
LGBTの理解増進については、スポーツ界でも世界規模で大きな課題として存在しています。

LGBTについて論争が起きるたび、私はある疑問を抱きます。
「性自認が女性である人が女子種目に出場できないのは不公平だ」
とする主張、或いはそれに対して、
「肉体が男性の選手は有利だから女子選手が可哀そう」という声もあります。
そのどちらも、そもそも「スポーツは不公平」であることを忘れて発言しているように感じるのです。
男女で種目を分けている時点で、スポーツ競技は不公平なものです。
しかし、その不公平さが、「男女とも1位が存在する」平等を生み出しています。
そのことを忘れたまま議論をしても、言い争いにしかなりません。
そして私見ですが、この問題は競技ごとに考察するしかないのだと思います。

世界陸連は一昨年、男性として思春期を過ごしたトランジェスター選手の女子種目参加を認めないことを決めました。
これまでの規則では血中テストステロンの数値で出場可能でしたが、より厳しいものとなっています。
当然、晩発性性別違和に該当する選手は出場することが出来ません。
また世界陸連は、性分化疾患の選手についても、血中テストステロン値の上限の引き下げを決議しています。
セメンヤ選手で話題となった性分化疾患は、先天性の疾患であり、性自認とはまるで異なるものです。
性分化疾患と性自認とを同列に扱ってはならない、と私は思います。
セメンヤ選手については、性分化疾患と性自認とを混同したまま批判されている声も多く、性分化疾患についての理解促進は今後の大きな課題と言えるでしょう。
国際水泳連盟の場合は陸上よりさらに厳しい規定で、男性の思春期を少しでも経験した場合は出場することはできません。
その理由は低年齢で五輪に出場するケースもあるからだと考えられます。

やはり競技ごとに検証するしかないと思われます。
そしてその際、「スポーツ競技はそもそも不公平なものであること」、「その不公平さが男女とも1位が存在すという平等を生み出している」ことを忘れてはならないと考えます。
もし、今のシステムそのものを覆そうとするなら、この「不平等さが生み出す平等」に代わる、或いはそれ以上のスポーツ哲学が必要になると思います。
そして、変えようとするのなら、そうした議論が起こることを期待しますし、1人の関係者として、模索したいと思います。

※以下、参考にした書籍の1冊です

忘れられない出来事というものが、人生には必ずあるものです。
2018年3月、宜野湾市で開催されたブレイクスルーランフェス、この時、県外からトップ選手をペースメーカーを招待して盛り上げようという話があり、関係者から「誰か呼べませんか?」と相談を受けたのです。
私は「果穂と玲奈なら呼べるよ」と即答しました。
そうしてやってきたのが、ユニクロを退社する直前の林田玲奈と、第一生命を引退した西澤果穂でした。
その記録会から1年後、別のブログサイトに書いた記事を以下そのまま転載します。

長距離種目の記録会、第2回ブレイクスルーランフェスが宜野湾市で開催されました。
昨年に続き、車いす陸上の選手の伴走をしてきたのですが、今日記事にするのは一年前、3月17日に開催された前回の記録会のことです。
もう1年経ったから振り返ってもいいのかなと思い、少しだけ書き残しておきます。
全部は書けないので、あまり上手くまとめられませんが…。

第1回大会でペースメーカーを務めてくれたのは、林田玲奈さんと西澤果穂さんでした。

※撮影:屋良優海子
どちらも所属していた実業団チームを退社して間もないころでした。

林田さんは引退を決めていましたから、引退前に、楽しくて記憶に残る走りをさせてあげられたらという想いが私にありました。
それを若い車イス選手と一緒に走ることで、ランナーとしての林田玲奈を記憶に残してもらえたら、何か伝わるものがあれば良いなと。

西澤さんは、これから先まだ悩むことがあるだろうという時期でした。
陸上をやっていてよかったと、そう思うことが出来るきっかけがあればと考えていました。
そしてそれが、ラストランというほどではないにせよ、一区切りつけられるようなものになればと。
無理に走り出すこともないし、走ることを辞めたとしても、あなたのこれまでの競技人生は間違いではなかったと、私自身が西澤さんに伝えたかったのかも知れません。

いずれにしても、結果は大成功だったと思います。
後日、琉球新報に掲載された記事がすべてを語ってくれていました。
西澤さん、林田さん、そして二人をペースメーカーに走った車いす選手も得るものが多い3000mだったのではないでしょうか。

さて、ラストランとしたのは、私自身にも区切りをつけるためでした。
ここから先は、走っても走らなくても、この二人の人生を応援することを再確認するために。
そして今、その継続が出来ていることが何よりも嬉しい日々です。

この大会の翌日、私は二人に沖縄を案内します。
その日は私の誕生日でした。
誕生日を林田さんと西澤さんと過ごしたこともあって、生涯忘れられない日となったのでした。

ちなみに、林田さんと西澤さんがペースメークした車イスランナーは安村妃良梨さん。
最後に当時の新聞記事を紹介しておきます。

金子魅玖人
金子魅玖人君。
中央大学に入学したころから注目している選手です。
元々私は、松井一樹君がコーチをしている選手を応援してきました。
日大の川元君、大森さんはじめ、皆、松井コーチが見てきた選手です。
塩見さんを初めて見たのも、松井コーチに会いに読谷村での合宿に行った時でした。
その時のことはまた別の機会に記事にしたいと思います。

さて話を戻します。
金子魅玖人君です。
彼の走りを初めて見たのは沖縄市での合宿でした。
その時は持久系の練習をしていたのですが、松井コーチが主催する「Team Ambition」の他のメンバーが(タイプが違うことも理由で)こなせない内容を一人で行っていました。
実際にその走りを見た時はびっくりしました。
100mを10秒台で走る5000mの選手…そういう規格外の素質を感じたのです。
松井コーチも相当ほれ込んでいて「こんな素質を持った選手は初めて見た」と興奮気味に紹介してくれたのをよく覚えています。
なお、記事冒頭の画像は、沖縄市での合宿の翌年、国頭村での合宿を見に行った時のものです。

今年から、Team Ambitionと株式会社ARCYELLが業務提携し、金子君はARCYELLの社員となって競技を継続します。
実績、素質、実力は充分すぎるほどの選手ですが、今一つ欠けているところがあるとすれば、「自分のレース展開」ではないかと思います。
どのようなレース、どのような走りをしたいのか、走る姿から伝わってこないことがあるのです。
もちろん、私の主観です。
レース展開を含め、自分自身で貫くものを明確に持って800mという距離に臨むとき、金子君の真価が発揮されるように思うのです。
課題は、貫くものを模索すること、といえるのではないではないか…そう感じます。
そして、これから先、進化した姿を見せ続けてくれることは間違いないと確信しています。