中距離と駅伝|大森郁香さんの選択

かつて、中距離を得意としていた高校生の多くは、卒業すると引退するか大学で長距離を走るということがほとんどでした。
私と同世代の選手を見渡しても、800mでインターハイまで出ているのに、大学には駅伝の推薦で入学し、そのまま長距離を走るという人が少なからずいました。
駅伝強豪校の場合は特にその傾向が強かったように思います。
もちろん、小野友誠のような例外もいました。
しかし例外は、400mもトップレベルにあるような数少ないスプリンターに限られていました。
女子の場合は、実業団の駅伝でも短い区間があるため、高校、大学を出ても駅伝に駆り出される選手が今も多くいます。
駅伝が悪いとまでは思いませんが、中距離の素質に溢れる選手を完全なスプリンターではなくしてしまっている、そう思えてならないのです。

一方、この状況を変えてきた選手がいます。
大森郁香さんもその一人です。
その記録として、以前書いていたブログの記事をそのまま転載します。
2015年に書いたものです。
大森郁香さんが日本大学を卒業しロッテに入社しました。
2014年、大森さんは関東インカレ、日本選手権、日本インカレを制します。
関東の学生にとってこの3つの大会すべてを制することは誰よりも強く、速いことを証明してみせたに等しいことです。
日大の女子選手がこの3冠を達成する姿を見せてくれる日が来るとは思っていませんでした。
日大中距離ブロックを応援している自分にとっては嬉しい驚きの連続でした。

大森さんはこの3冠を達成する前に競技を辞めることをロッテに伝え、一般社員として内定をもらっています。
前年までのベストは2分9秒台。
学生最後の年、良い成績を残すことを考えていただろうけれど、早々に3月末の時点で自己新記録を出してきます。
3月29日、順大の記録会で2分8秒26をマーク。
翌月4月29日の織田記念、大森さんは800mのB決勝に出ていました。 AではなくB、前年までの実績ならそれも当然でしょう。
しかしここでも2分8秒台を出してしまいます。

その翌月の関東インカレでは日本歴代10位となる2分3秒台で優勝。
一気にトップ選手に躍り出ます。

好記録が出たこと、またこの後、日本選手権でも優勝することで、競技を続けるか悩みはじめた大森さんに実業団からも誘いがかかったそうです。
ただしその条件は「駅伝を走ること」。

最終的に大森さんはロッテに就職。
企業の理解を得てこれまで同様練習拠点は日大のまま競技を続行することになります。
その選択はおそらく間違っていないでしょう。

日本の陸上界は長いこと中距離と長距離とが一緒に考えられていました。
中・長距離という呼ばれ方はあっても、短・中距離という呼び方はありませんし、短距離と中距離を解説する書籍を見たことがありません。
陸上競技の解説本のタイトルは「中長距離」となっているものが殆どだろうと思います。
実際、高校の陸上界においても強豪校は駅伝を中心に据えているので、800mや1500mが得意な選手は3000mなど短い区間を走ることになります。
先ず駅伝ありきなので駅伝のための練習を全員で行います。
高校生とはいえ相当走りこみます。
学校によっては月間1000km近く走ることもあるでしょう。
そうした練習の中でスピードのある者、5000mや10000mが得意な者とで走る区間を決めます。
中距離のための練習は基本的にはありませんし、短距離練習を行うことはまずないと思います。

勿論これまでにも例外はありました。
400mと800mの選手で規格外の場合。
400mがトップレベルにあればスプリント力を潰さずに800に活かしたいので、助っ人として駅伝の短い区間を走ることはあっても長距離の練習を行うことはほとんどありません。

でも1分55~2分くらいの選手が800mに特化した練習を専門的な環境下で行うことは困難です。
強豪校であればそのスピードを駅伝に活かせとなる。
そもそもその為に800mや3000mの速い中学生を獲得するのですから…。
強豪校でなければ自分自身でメニューを作成し練習することになるのですが、これは結構大変。
で、各県大会の上位を見るとこのタイム層の選手が最も多いのが現状。
そして無名校の選手も結構います。
ほとんど素質だけで走っている…そう思える選手も少なくありません。
逆に強豪校の選手を見て「この選手がスプリント練習をメインに行えていたら…」と感じたこともあります。
もっと伸びていたかもしれない逸材はたくさんいたかも知れない。
もしかしたらそれこそが日本の中距離界が停滞していた原因なのかも知れません。

高校時代の大森さんは、間違いなく「ほとんど素質だけで走っていた」タイプです。
過酷な長距離練習を行っていなかった分、大学3年生頃からの本格的な中距離練習で伸びたとも思えます。
その大森さんの今シーズンの目標は2分1秒、世界陸上の参加標準記録。
この記録で走ろうと思えば、男女を問わず400mを53秒くらいで走れるスプリント力が必要になってきます。
女子で400m53秒を目指す場合、駅伝を目指した長距離練習は足枷になってしまう可能性が高い。
駅伝が邪魔だとは思いません。
けれどもマラソンも高速化しているし、中距離に関して言えばそれこそ高速化が不足しています。
駅伝は人気種目で商業的価値も高いから力を入れるのはわかるけれど、中距離の選択肢をそろそろ確立させないといけないのではないか…そんな気がしています。
そしてシニア期に入って急速に伸びた大森さんのスプリントは、これからまだ幾度か大きく飛躍するきっかけが訪れるように思います。

大森さんはロッテを退社後、奥アンツーカに所属し走り続けました。
引退レースの様子を見ると、大森さんがいかに慕われていたかが良くわかります。
大森さんが長く走り続けたことで、広田さん、山田さん、北村さん、池崎さんなど、多くの選手が社会人になった今も走り続けているように感じるのです。
男子では大森さんと日大で同期の川元君が今も現役で頑張っています。
川元君の影響で走り続けている社会人も増えてきたように思います。
こうした社会人の競技人口の増加は、800m全体のレベルを押し上げていくことに繋がると確信しています。
そして、今の日本の中距離界は、松井一樹という一人のコーチの存在があればこそだと思う今日この頃です。
奥アンツーカに所属していた頃の大森さん


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