駅伝強豪校の合宿メニュー|30年以上前のお話

高校生の時、全国高校駅伝の常連校の合宿に参加しました。
8月、1週間、場所は伊豆大島。
宿泊したのはおくやま荘。
釣り人と陸上関係者には有名な民宿です。
小出監督時代のリクルートも使っていました。
有森さんのサインが民宿にあったのを覚えています。
おくやま荘

さて練習メニューですが、記憶が元なので日程が違っているかもしれません。
当時はGPSなどはありませんから、距離も伴走の原付で測ったりしていましたので、正確ではありません。
そのあたりはご容赦ください。

初日、船で伊豆大島に着いてから民宿までジョグです。
波浮港から民宿まで海沿いの19㎞。
海沿いと言っても坂道だらけです。
沖縄の人でとかしきマラソンを走ったことがある人は、渡嘉敷島を思い浮かべていただけるとぴったりです。
今年はじめて渡嘉敷を走りましたが、だらだら続く上り坂で、伊豆大島の坂道を思い出しました。
民宿に着くのは夕方で、荷物を整理してから8㎞ペーランします。
この8㎞は1年生のための朝練のコース確認です。
この後、3000mを1本走ったかどうか記憶が定かではありません。
初日は27~30㎞くらいで終了です。
ちなみに、女子も同じメニューです。

朝練は4㎞離れた公園に、確か6時半ごろに集合。各自走っていきます。
公園で体操と補強をして走って帰ります。なので8㎞です。
日中の練習では、毎日ポイント練習がある感じです。
中でも3種類のメニューが、本当にきつかったのを覚えています。

2日目の午前中はジョグ20㎞と5㎞のTT。
午後も20㎞のジョグと3000のTTを2本走っていたかと思います。

3日目だったと思います。
5、3の繰り返しがあります。
本当にきついメニューの1つ目です。
5、3というのは、朝練、朝食後、9時に民宿の前から2.5km折り返しで5㎞のタイムトライアル。
次は10時スタートで1.5㎞折り返しの3㎞。
これを繰り返します。
9時に5㎞、10時に3㎞、11時に5㎞、12時に3㎞、1時に5㎞、2時に3㎞、3時に5㎞
合計29㎞です。
因みに女子は全部3㎞なので21㎞です。
そして、これが終わってから夕方に10㎞くらいジョグします。
一日の合計は50㎞超えていないのですが、ずっと5000と3000を本気で走るので疲労感がすごかったです。
最後の5000を14分台で帰ってくるお化けもいました。

4日目、朝練と午前中の練習は2日目と同じような感じです。
午後、全長400mくらいの急勾配の芝生でクロスカントリー。
たしか20本くらいだったと記憶しています。
下りはジョグなので合計16㎞程度でしょうか。
そしてこのクロカン場所まで往復15㎞くらい走っていると思います。
恐らく、この日の合計距離は60㎞くらいです。

5日目…もしかしたら4日目と逆かもしれません。
いずれにしても、この日のメニューは伊豆大島一周50㎞走です。
キツイメニューの2つ目です。
朝練後、実力順に一人ずつ時間差でスタートします。
アップダウンの激しいコースを50㎞、高校生が走るのですから今にして思えば驚きです。
速い子だと3時間台で普通に戻ってきます。
私は5時間くらいかかったのを覚えています。
400~1500、それに混成を主戦場にしていた私には本当にきつかったです。
女子も走っていました。

6日目、この日のメインメニューは1000mの急な上り坂を10本です。
これがきついメニューの3つ目です。
この坂も沖縄のランナーには想像しやすいと思います。
尚巴志ハーフの新里坂、長さも斜度も、あれにそっくりです。
下りはジョグ、数本おきに給水があります。
全部で20㎞。
そして坂のある場所までのジョグがどう考えても往復10㎞以上あります。
というのも、30分以上かかってたどり着いた記憶があるからです。
そして午後はロングジョグ20㎞と5000のTTでした。

最終日は朝練やって、5000のTTやって終了。
さすがに帰りは港まで車移動です。

かなりあやふやな記憶なので日程の配置やジョグの距離は間違っているかもしれません。
でもメインメニューははっきりと覚えています。
2日目から6日目までは毎日合計60㎞前後走っていた感じです。
そして毎日夕方、練習後は海で遊んでいました。
元気でしたね。
高校を卒業した最初の年にもう一度参加させていただいたのですが、その時には最近ニューイヤー駅伝を連覇しているチーム(某自動車メーカー)の監督さんが高校1年生でした。
もう30年以上前のお話です。

高校生の時に伊豆大島1周50㎞を、それもきつい合宿の日程中に経験したことは本当に大きかったです。
大学での練習で走り込み時期にフルマラソンをメニューに入れることにも全く抵抗がありませんでした。
42㎞という距離に恐怖感とか不安が全くなかったのです。
引退して20年後、ウルトラマラソンを走ってみようと思えたのも、この合宿を経験していたからだと思います。
若いころの経験は、何十年後かの意識や考えにおいても財産になるものだと、この歳になって実感しています。


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